水始涸


さすがに「水」などという基本の基本のような字には異体も何もないというところだが、草書の中には結構難しいのもある。


それ以上の謎は漢代にあって、どのようにして「サンズイ」が生まれたかというのが最大の謎だ。
子供の頃、野末陳平の『姓名判断』という新書がベストセラーとなって、家にも一冊あったのだが、「サンズイは水なので四画で数える」というのが理解できなかった。そのくせ仮名の名前は普通に数えているし、しんにょうを「辵」の七画に数えてもいなかったような記憶がある(もしかしたら数えていたかもしれないが)。何にしても、漢字を画数で数値化して計算して運勢を判断することなどできよう筈もない。楷書と篆書ではどうしたって画数が(篆書に画数などないだろうに)同じくなる筈もなく、楷書と明朝体でも矛盾は生じる。サンズイを四画に数えるくらいなら、「桜」は当然「櫻」で数えざるをえない。また「臣」を何画に数えればよいのか。「姫」の旧字「姬」(U+2F862)はなぜか常用漢字表の括弧内に載せられていない。画数の違うものは載せた筈なのだが、この二つは同じ画数ということになっている。

追記:「姫」の旧字は「姬」(U+59EC)でいいのだった。何も互換漢字追加を引かなくても。

本能寺ほんのうじ


昨夜twitterに書いたことだが、「能」の書写体を無理に明朝体に作って符号化するなど無用だと言った時(www.itscj.ipsj.or.jp/domestic/mojicode/houkoku922.pdf)、すでにExt. Aにそれが入っていた。
「䏻」(U+43FB)は、康熙字典にも諸橋大漢和辞典にもない、台湾ソースだけで入っている。


康熙字典御製序の「能」は二種類。「去」にしてはまずいと思う。

蟄蟲坏戸



「蟄」は蟲(必ずしも昆虫ではない)が土中に冬ごもりすること、転じて人が家にこもること。「蟄居(ちっきょ)」は「蟄居閉門」、罰としての「押し込め」という意味合いがある。自ら閉じこもる場合は「ひっきょ」と読む(嘘)。

「蟄(zhé)」の聲符は「執(zhí)」だが、日本での音は「チツ・シツ」と異なる。「シツ」で揃っていれば「ヒツ」までは後一歩、江戸っ子なら間違いなく同じになる(まだヒッキョに拘っている)。それに「ち・し」は濁れば「ぢ・じ」で、区別はなくなる。

そういえば、「失(shī)」を聲符としながら「秩(zhì)」と中国音も変わるし、「至(zhì)」も冠がつけば「室(shì)」となる。日本での音もやはり異なる。ところが同じ冠がついても「窒(zhì)」はもとの「至(zhì)」と変わらない。

まあ、おそらく昔は同じように発音していたものが時代とともに変化してしまったということなのだろう。漢字は一字一音で、こういう変化を辿るのに便利だと思っていると、その形声文字の出来た時代を読み違えて大間違いをやらかす可能性もあるので怖い。

形声字だから音だけのつながりという訳でもなく、「密室」と「窒息」を並べてみるとどこかで意味もつながっている感はある。

ついでのことに、肉月もつけて、「膣(zhì)」と「腟(chì)」。いや、こちらは府川充男師匠のネタだった。

雷乃收聲



岩田母型製造所の弘道軒清朝四号には、「聲」も「声」もある。「声」は当用漢字表にも略字で載っているから、戦前からあったには違いない。
それにしても「聲」の字がどうも弘道軒らしくないように感じる。手持ちの『東京日日新聞』のコピーから「聲」を探してみた。

荒い画像だが、まるで違うことはわかると思う。新聞の(五号)ほうは、「声」の左払いが綺麗に伸びているし、「耳」の形も異なっている。
こちらが本来の弘道軒清朝だ。それでは岩田母型製造所の「聲」活字はなにものなのか。
おそらくは戦後に岩田で新刻したものということになるだろう。清朝四号の清刷を見る限り、弘道軒が健在なうちには必要とされなかった筈の新字体活字が散見されること、また明治に弘道軒で彫られた活字とは明らかに線質の異なるものが存在することなどから、新刻活字があることは確かであるが、岩田の社史には弘道軒清朝に関して、新刻の記録がないのである。

凸版印刷博物館に岩田母型製造所から移された父型および母型を調査すれば、事実は明らかになる筈だ。

所かわれば

子供の頃、父親の書く「所」という字が不思議だった。あとで思い返せば行書で書いていたにすぎないのだが、この形がずっと頭に残っていた。
干禄字書でいえば「俗」とされる形だ。


ところが、康熙字典の御製序で、この形が現れる。御製序では「所」という字を七回使っている。


7分の3が「俗字」ということになる?
御製序は、皇帝による文章を清書したものとされる。そんなところに「俗字」を書いたら首が飛ぶのではないだろうか?

駆け出しの校正者時代、諸橋『大漢和辞典』を調べ放題という贅沢な環境があり、暇があるとめくっていたのだが、この「俗字」を探してみたことがある。


52と13549が見つかった。
52は「所の俗字」とあるが、13549は「音ショ、義未詳」となっている。「音義未詳」でなくてまだよかったが、ずいぶん冷たい扱いだ。まあ、康熙字典を引いただけ、ということなのだろう。

さて、Unicodeも拡張Dまで進んで、ここに日本から、諸橋52によく似た字が入った。

「𫝂」(U+2B742) http://glyphwiki.org/wiki/u2b742

グリフwikiを覗いてみると、住基文字から入ったらしいが、諸橋52とはわずかに違う。さらに戸籍統一文字には別の字形も収録されているらしく、
http://glyphwiki.org/wiki/dkw-00052
http://glyphwiki.org/wiki/koseki-000770
とそれぞれグリフが作られている。

諸橋13549は拡張Aにあり、
「㪽」(U+3ABD) http://glyphwiki.org/wiki/u3abd

さらには、また別に
「𠩄」(U+20A44)http://glyphwiki.org/wiki/u20a44
と、なんと「雁垂」の部に入れられているものまである。

やれやれ。御製序の電子翻刻には「所」一つだけで済ましてほしいものだが。

玄鳥去

「去」の本字は「厺」(U+53BA)。説文には「人相違也。从大𠙴聲。凡去之屬皆从去。丘據切」とあって、下は「厶」ではなく「𠙴」(U+20674)であるらしい。さらに「𠙴」は「𥬔」(U+25B14)と同じであるらしい。すなわち竹製の飯器。
漢和辞典で「去」を「器と蓋が離れた様を表す」という解釈を目にするが、これはどうもおかしい。上は明らかに「大」で、人の正面形であり、蓋ではない、と『甲骨文字小字典』にある。
白川説では下は「載書の器である〓」の壊れたものらしい。いちいちゲタにするのも鬱陶しいので、康熙字典で「口」の古文とする「𠙵」(U+20675)をこの際使ってみよう。「載書の器」=「𠙵」、その壊れたもの=「𠙴」という説だが、困ったことに甲骨文字では「去」は結構「大+𠙵」だったりする。
「夻」(U+593B)なんていう字もあるが、魚の名前だとかで、「去」とは関係がないといわれ、さらに「㚎」(U+368E)もあるが意味不明。もちろん「𠮷」(U+20BB7)は関係ない。
字画の簡単な字の方が衝突も多くて、字源を辿りにくい。なぜ飯器の形が「去る」という意味になるのかと考えるより、「我」がノコギリの形だが音が合ったので「われ」の意味に使ったというのと同じように、仮借だと考える方が繫がりやすいのではと思ったりする。

鶺鴒鳴


「鳴」もなかなか難しい漢字である。鳥部にあるが、「口」が聲符でないことは自明なので会意字。説文には「鳥聲也。从鳥从口。武兵切」とあって鳥と口で鳥の声を表す。漢和辞典も概ねこのまま、あるいは鶏の声とする。ところが、『字通』では、これも「クチ」ではなく「サイ」だとして、鳥占の姿だと説く。これは少々無理があるのではないかと思わざるを得ない。この説では「唯」との関係もはっきりとは見えてこない。白川説をもう少し確かめようと『説文新義』にあたると、4-95に「雞鳴を示す語であろう」と説文通りの解釈にとどまっている。また、2-44「口」のところで、「載書の器である〓と同形であるが、載書のときには字形やや横長、かつ扁に用いることは殆んどない」と記している。「鳴」は甲骨文字もある古い字なので、『甲骨文字小字典』(落合淳思)で調べると、卜文の「之日夕有鳴鳥」が引かれていて、説文で問題ないようだ。白川説については「殷代に鳥占いが行われた証拠はない」と斬り捨てている。


追記:「鳴」(弘道軒)の鳥の形を見ていて、高島屋を思い出して検索してみた。
http://ameblo.jp/zeirishi-west/day-20100303.html
高島屋の「高」を云々することは多いが、「島」を云々することは不思議と少ない。どちらも伝統的楷書にすぎないのに。