雷乃收聲



岩田母型製造所の弘道軒清朝四号には、「聲」も「声」もある。「声」は当用漢字表にも略字で載っているから、戦前からあったには違いない。
それにしても「聲」の字がどうも弘道軒らしくないように感じる。手持ちの『東京日日新聞』のコピーから「聲」を探してみた。

荒い画像だが、まるで違うことはわかると思う。新聞の(五号)ほうは、「声」の左払いが綺麗に伸びているし、「耳」の形も異なっている。
こちらが本来の弘道軒清朝だ。それでは岩田母型製造所の「聲」活字はなにものなのか。
おそらくは戦後に岩田で新刻したものということになるだろう。清朝四号の清刷を見る限り、弘道軒が健在なうちには必要とされなかった筈の新字体活字が散見されること、また明治に弘道軒で彫られた活字とは明らかに線質の異なるものが存在することなどから、新刻活字があることは確かであるが、岩田の社史には弘道軒清朝に関して、新刻の記録がないのである。

凸版印刷博物館に岩田母型製造所から移された父型および母型を調査すれば、事実は明らかになる筈だ。