鴻雁來


「来」の旧字は「來」で、活字が「来」になったのは『当用漢字字体表』以後。100字の略字を当用漢字表に先駆けて用いた朝日新聞でも「来」は使っていない。と云うのは明朝体の話で、手書き文字の場合、隷書以降は基本的に「来」を書いてきた。
http://www.joao-roiz.jp/HNG/
で見ても「來」は開成石経以降の正字を意識したものだけだ。
弘道軒清朝では両方持っているが、『東京日日新聞』や逍遙の『小説神髄』でも「来」を使っている。
ところが、戦前の文部省活字は「來」になっていて、筆写の伝統より字書の正統を採っているあたりがおかしい。そういう意味では「高・郄」「吉・𠮷」に似ているが、戦後筆写の形に変わった「来」と、変わらなかった「高、吉」の違いはどこにあるのだろうか。
手書きでは、さらに「耕」の偏、つまり「耒」の一画目が一になる形も結構書かれてきた。日本では音は同じだが、中国音は異なるようで、単に衝突しているだけなのかもしれない。
96年頃、新宿区矢来町で、住居表示の看板に下図のような字体を見つけた。HNGでもそれらしい形があるので、誰もがやりそうなことというわけだ。