文字は異なもの

新装第一弾は異体字の「異」。お決まりの弘道軒清朝四号は、常用漢字と変わらない。
しかし明治の弘道軒清朝は違う。東京日日新聞小説神髄、どちらも五号だが、「共」が分割され「田」が「甲」になった形だ。

江守賢治『解説字体辞典』によれば、康熙字典体が伝統的な楷書の字体を改変してしまった例である(康熙字典は共をつなげていないが、明朝体でつながってしまった)。

HNGで、「異」を見ると、

http://www.joao-roiz.jp/HNG/search/word=%25E7%2595%25B0&ratio=0.020

この字は「初唐標準」と「開成標準」で字体の変わる文字の一つである。即ち説文の小篆が「甲」を「田」にしてしまったために、楷書がそれに倣って正字が変わったということだ。

漢典の字源字形

http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE7Zdic95ZdicB0.htm

で、甲骨・金文の字形を見ることができる。また台湾教育部異体字字典には、

http://140.111.1.40/yitia/fra/fra02649.htm

五経文字にその伝統的楷書の字体も載っているのを確認できる。

伝統的な楷書(初唐標準)のほうが説文の篆書より古い字形をよく伝えているということになる。まあ、「結果的に書きやすい形になったのだからいいじゃないか」とも言えるわけだが……。

Unicodeにある異体字としては、もちろん簡体字の「异」(U+5F02)があるし、康熙字典が古文として載せる「𢄖」(U+22116)もあり、金文を明朝体にしたような「𠔱」(U+20531)とか、康熙字典どおりの康熙字典体「異」(U+2F938)も揃う。「田」が「甲」になる形は戸籍統一文字にあるが、Unicodeにはないようだ(あってほしいというわけではない。念の為)。

さて「異」の字源だが、漢和辞典を見るとバラバラである。
『漢字源』では、「笊などを両手で持った形。会意」。
『新字源』では、「人が鬼の面をかぶって立っている姿。象形」。
『字通』では、「鬼頭のものが両手をあげている形。象形」。
ちなみに説文では会意字としている。落合淳志『甲骨文字小字典』では「面をかぶった人の姿。象形」と、『新字源』に近い。
『漢字源』の藤堂説はかなりユニークで、「もう一方の手でも持つところから異なるの意味が生まれる」という発想。「翼」も両翼あるので云々と。しかし、甲骨・金文の形を見ても全身像であり、物を持つことに主眼があれば下半身まで描くことはありえない。次に「田」の部分が示すものだが、これを「面」だと断定する根拠がよくわからない。もちろん日本にも鬼ヤライの儀式が伝来し、行われていたことから、そのような儀式の存在は考えられるわけだが。『字通』は素直にエイリアンの正面像と言っているようで、異形のものの姿の象形と見ることには違和感はない。ただ、白川説も、『字統』では上記の後に「ものを翼戴する形」という記述がある。「翼戴」とは主君を支える意味、また子供を高い高いする姿であろうが、両方の字に「異」が入っている熟語であるからその意味を考える上で重要と見たのだろう。ただ、若干『漢字源』説に近づくような書き方に思え、後に削ったのは分かる気がする。

「田(甲)」は「畏」のそれと同じ、また「鬼」のそれとも同じだろう。「鬼」の一画目の「ノ」は説文以来の誤りで本来は不要なものだ(『新字源』は逆に「異」の方が「ノ」を欠いたとするが、実在する文字の歴史的にありえない)。