霜始降
近頃の中台漢字サイトの充実ぶりは凄まじい。
http://www.zdic.net/
とか
http://chardb.iis.sinica.edu.tw/
などを参看すれば、大抵の字書より多くの情報が得られるくらいである。
後者からリンクして、
http://dict.variants.moe.edu.tw/
を見ると、「霜」の異体字として、
http://dict.variants.moe.edu.tw/yitia/fra/fra04487.htm
のように「灀(U+7040)」=「𩅪(U+2916A)」を含む4字を挙げているし、
http://chardb.iis.sinica.edu.tw/meancompare/971C/5B40
ではさらに「孀(U+5B40)」も挙げられている。
「霜」に『寡婦』の意味があるなど浅学非才の身で知る由もなかったが、こうなると異体字というよりは「派生字」とか「関連字」というほうが適切ではないかと思う。
蟋蟀在戸
「戶」「户」「戸」と3つもUnicodeにあるのは、台湾のTCA-CNS 11643-1992が元々持っていた繁体字の「戶」のほかに、簡体字の「户」と楷書体の「戸」を符号化していたためで、日本のJIS X 0213はこの3つの字体を包摂しているが、IVSを振ることはできず、JIS X 0221を用いて使い分けを行うしかない。
HNGでこの字を検索すると、楷書では開成石経の正字を含めてすべて「戸」の形だ。
原規格分離とIVSは、こういうところで極めて相性が悪い。
戸田建設(http://www.toda.co.jp/index.html)のロゴの字体が悩みの種だったりする訳である。
追記
梯子高(郄)が化けてしまった。
鴻雁來
「来」の旧字は「來」で、活字が「来」になったのは『当用漢字字体表』以後。100字の略字を当用漢字表に先駆けて用いた朝日新聞でも「来」は使っていない。と云うのは明朝体の話で、手書き文字の場合、隷書以降は基本的に「来」を書いてきた。
http://www.joao-roiz.jp/HNG/
で見ても「來」は開成石経以降の正字を意識したものだけだ。
弘道軒清朝では両方持っているが、『東京日日新聞』や逍遙の『小説神髄』でも「来」を使っている。
ところが、戦前の文部省活字は「來」になっていて、筆写の伝統より字書の正統を採っているあたりがおかしい。そういう意味では「高・郄」「吉・𠮷」に似ているが、戦後筆写の形に変わった「来」と、変わらなかった「高、吉」の違いはどこにあるのだろうか。
手書きでは、さらに「耕」の偏、つまり「耒」の一画目が一になる形も結構書かれてきた。日本では音は同じだが、中国音は異なるようで、単に衝突しているだけなのかもしれない。
96年頃、新宿区矢来町で、住居表示の看板に下図のような字体を見つけた。HNGでもそれらしい形があるので、誰もがやりそうなことというわけだ。