神崎正誼の崎の字

片塩論文72ページで、〈「神崎正誼の死亡公告」〉というところと、74ページの〈「神崎」は「神崎」と〉(二カ所)というところだけ、「粼」U+FA11をわざわざ使っている。
弘道軒清朝で印刷された「崎」を明朝体で再現しているのだが、こんなことが必要でないことをむしろ書いておくべきだろう。

二つの書物、
官員名鑑 明治10年5−12月
神崎正誼編
東京:弘道軒,明10−11
著者標目 : 神崎,正誼(1837−1891)
著者標目よみ : カンザキ,マサヨシ(1837−1891)
西暦年 : 1878

官員録 明治10年6月−11年7月
日暮忠誠編
東京:拡隆舎,明10−11
著者標目 : 日暮,忠誠
著者標目よみ : ヒグレ,チュウセイ
西暦年 : 1878

との、同じ箇所を見比べれば分かる。

長崎県」の「崎」の字に幾つも種類があると考えますか?
「書体差」とはこういうことである。