片塩二朗氏の「弘道軒清朝活字の製造法とその盛衰」について

タイポグラフィ学会誌04』所収 片塩二朗「弘道軒清朝活字の製造法とその盛衰」は、
弘道軒清朝に興味を持つものには必読の論文である。

20日には、論文発表会も開かれるので、その前に予習をしておこう。

http://www.society-typography.jp/news/

10章(A4判110ページ余)に及ぶ論文なので、概略をメモしておく。
論文の骨子は、2008年に再発見され、提供を受けた横浜築地活字に保存されていた弘道軒清朝活字の父型・母型・活字のセット(以下「資料」)の検証であり、同時に本木昌造系の明朝活字に比べ、研究の少なかった弘道軒清朝研究史を概括しつつ、新たな視点を提供するものといえる。

「資料」は、1976年にタイポグラフィ協会が岩田母型から譲り受け、現在では印刷博物館に所蔵されている父型・母型・活字のセットと同等のものであり、1946年に岩田百蔵が弘道軒の継承者から買い上げたものの一部ということになる。

論文の章立てを追ってみると、

1 

1-1 横浜築地活字の資料発見の経緯

1-2 昔話。「オフィシャルな印刷物」について。続けて「佐藤メモ」の引用。
(「役所」の話は重要である。この情報は滅多に聞くことはできない)

2 築地活字の沿革と活字サイズについての前置き

3

3-1 「資料」を用いた印字と比較資料との対比。
(明治期に弘道軒で印刷された物と対応させることで、「資料」が間違いなく弘道軒清朝であることを示し、実測によってボディサイズを確定している)
3-2 「資料」の内訳

4 活字製造法の解説

4-1 パンチ

4-2 電胎法。本木昌造の話。

4-3 海外文献の紹介

4-4 パンチについての文献の引用

5

5-1 「資料」の金属成分分析

5-2 報告書
(株式会社IHI技術開発本部による成分分析結果の報告書。最重要)
5-3 感想

6 先行文献について

6-1 原史料の少ないこと

6-2 福地櫻痴の引用

6-3 開拓者の苦心の引用

7 先行研究

7-1 牧治三郎

7-2 矢作勝美

7-3 古川恒

7-4 桜井孝三ら

8 変体活字廃棄運動について

9 玄々堂について
(弘道軒の協力者であり、銅版・石版印刷を行っていた玄々堂についてのまとまった解説)

10 むすび

となっている。

先行研究の紹介にも多くの紙数が割かれているので、弘道軒清朝研究の集成ともなっている。






ここからは、個人的感想を記しておきます。論文通読、もしくは発表会の前には読まない方がいいかもしれません。





Optical Scalingについて、読者に誤解を与えそうな記述がある。異なる号数の活字間で字体が異なることをオプチカルスケーリングで説明するのはどうかと思う。
イワタのOTF弘道軒清朝体を用いて、明治期の組版の再現をして比較しているのは蛇足であろう。イワタが四号清刷からフォントを製作した以上は、四号で組版した印刷物との比較だけで充分。
『官員名鑑』を一カ所『官員名簿』と誤植している。