再び東京日日新聞の楷書活字

昨年6月に書いた記事に補足したい。
東京日日新聞の本文にサイズの異なる二つの楷書活字が用いられていることは先に書いた。
仮に一方を本文大、他方を本文小とすると、本文大は弘道軒清朝、本文小は築地活版の楷書活字である。

ところが、片塩論文では104ページで、これを「俗説」として切り捨てるような物言いをしている。
おそらく片塩氏は東京日日新聞の紙面を実際にご覧になったことがないのであろう。
一例として、明治21年5月9日付の紙面を見てみよう(小宮山博史氏提供のコピーによる)。

一面は三段組みで、二段目と三段目は清朝五号のベタ組み24字詰めである。一段目にはまず広告があり、二号の明朝と五号の清朝が混植されている。その左は官報で、本文小が使われている。
ベタ組みで30字詰め、天は少し空いている。片塩論文によれば、清朝五号は実測値で4.63mmであるから、一段24字詰めの行長は、4.63×24=111.12mmとなる。この行長に30字組んであり、31字を組むだけのスペースのないことは明らかなので、111.12/30=3.704。本文小は3.704mmより大きいことはあり得ず、111.12/31=3.5845...、3.58mmより小さいこともあり得ない。片塩論文の実測値によれば清朝六号は3.1mmであるから、本文小は清朝でいえば五号より小さく六号より大きいことになる。
片塩論文で、「いわゆる平均的な号数制活字格」としている、築地活版からJIS規格に至るまでの活字サイズでは五号は概ね10.5ptであり、1ptは約0.3514mmであるから、0.3514×10.5=3.6897、すなわち築地活版の五号のサイズとして問題なく比定できる大きさの活字なのである。

さらに、同じ日の五面を見てみると、こちらは四段組みであり、本文大で20字詰め。四段目には本文小の組みもあり、こちらは25字詰めとなっている。行長は若干本文小の方が大きく、その差は段間罫との間のスペースで吸収されている。本文大20字詰めの実測値は4.63×20=92.6mm、それより若干長い行長に25字入る活字のサイズは如何ほどか。清朝六号であれば、3.1×25=77.5mm、これはあり得ない。10.5ptの五号活字であれば、3.6897×25=92.2425と近づくが、92.6mmに届かない。実際の築地系五号活字はそのサイズにかなりのバラツキがあることがわかっているのだが、信頼できる数値として、小宮山博史氏の『日本語活字ものがたり』による、上海美華書館のSmall Picaが3.72mmとなっている。3.72×25=93mmであるから、この数値が最も近似している。

すなわち、単純な算数の結果からも、本文小が築地活版の明治21年時点での五号楷書活字であることは明らかで、『聚珍録』所収の『座右之友第二』に見える五号楷書とほぼ同一の字形であることも確認できる。

脱線するが、片塩論文105ページ以下には読者を惑わすシカケが施されている。
弘道軒の明治8年『活字鋳造敬告』を「資料実測値にも、曲尺寸法にもピタリと合致した」としているのだが、106-107ページ見開きと108-109ページ見開きとでは写真の大きさが異なっている。グリッドに合わせるために(原本が存在せず、正確な実寸が再現できないとはいえ)写真を縮小ないし拡大するのであれば、キャプションにその旨を明記すべきであろう。

現在我々は、国立国会図書館近代デジタルライブラリを利用して、明治期の印刷物の実像に迫ろうと努力している。マイクロフィルムからのデジタル画像はその実寸を知る手がかりに乏しく、こうした微妙な活字サイズについては、言うべき言葉を持たない。しかし、そうした隔靴掻痒の感のある資料からでもできる研究はある。「実物を手に入れた」からと得々と語りつつ、細部に曖昧な「ウソ」をちりばめるような「研究」を有り難がるほど落ちぶれてはいないのである。