湯島天神で甲骨・金文と簡体字のことなどを思い巡らす


先週、湯島天神へ梅を見に出かけた。
大鳥居の額を見ると、楽しい字なので撮影した。もちろん「天満宮」と書いてあるわけなのだが、字体に拘ってみると「天𫉗宫」となる。
「𫉗」(U+2B257)なんて字は見たこともない。Unicodeの拡張Cに入っているが、典拠がなんなのか分からない。「満」の異体字なのかどうか。
「宫」(U+5BAB)は「宮」の簡体字なのだが、説文解字康熙字典がなければ、今の我々もこの字を書いているはず。
「宮」をHNGで検索すると、
http://www.joao-roiz.jp/HNG/search/word=%25E5%25AE%25AE&ratio=0.020

どう見たってつながっていない口ふたつが当たり前なのだ。
甲骨文字を見ても口二つなのだし、金文でも同じ。説文解字の「背骨」という解釈には無理があるし、そのために字形を改竄したんではないかと勘繰りたくもなる。

弘道軒清朝の四号は、

なのだが、『小説神髄』を見ると、

実は明治二十年当時は口二つだったことがわかる。


ついでに「呂」の字も。


「呂」をHNGで検索すると、
http://www.joao-roiz.jp/HNG/search/word=%25E5%2591%2582&ratio=0.020

簡体字の「吕」のほうが伝統的ということになるが、
清朝活字では昔も今もつながっている。


夏目漱石はどう書いていたのかな、と『直筆で読む「坊っちゃん」』をめくってみたが、これもつなげて書いている。





【追記】台湾教育部異体字字典を調べて『玉篇』に典拠を。