簡単なのにひどく面倒な「者」という字について


正月明けからもう3週間、どうにも更新ができなかったのは、「者」が難しすぎたため。
小学校3年で習うこの字が、なぜにそんなに難しいのか。意味は皆さんよくご存知の筈。
音は「シャ」、訓は「もの」。どちらにしても言葉の後ろについて、「(〇〇のような、〇〇をする)人」を示す。
千字文』では996番目の字で「謂語助者焉哉乎也」(語助と謂ふ者、焉哉乎也)、「ものは」乃至単に「は」と訓ずる。
この字を草書からさらに崩して、「は」という仮名(変体仮名)ができた。

現代の感覚では「物」に対して「者」は、「もの」と訓ずるうちの「人」の方を表すというイメージで捉えられる。
ところが、もう一つ「人」そのものと比べた場合、少々変わってくる。

悪者と悪人、これはほとんど同じか。医者とは言うが医人とは言わない。易者も。各者と各人、後の方がよく使う。学者、人は付かないが、大学者と大学人だと意味が違う。芸者と芸人では職種が違う。後者と後人も意味が違うし、後者は人でなくても言う。死者と死人はほぼ同じ。使用者と使用人は立場が逆。他者と他人はほぼ近い。達者と達人は似ているが少し違う。編集者はヒラでも言うが編集人は編集長。武者と武人はかなり近い。役者と役人は大違い。勇者と勇人……違う。両者と両人、両者は人とは限らない。老者と老人はほぼ同じ。

などとくだらないことを考えているうちに一週間が経ち、ちっとも本題に入れない。
本題は、「者」の「耂」(おいがしら)と「日」(または「曰」)の間にあったりなかったりする点の話である。

当用漢字表』が官報に載った時、その印刷に使われた明朝体では「者」に点があった。
そして『当用漢字字体表』では点がなくなった。そのため、点のある方が「旧字体」、点のない方が「新字体」と呼ばれることになった。
しかし、弘道軒清朝では明治の初めから「者」に点はない。楷書では点の付いた「者」など書く人はまず存在しなかった。

http://www.joao-roiz.jp/HNG/search/word=%25E8%2580%2585&ratio=0.020

HNGで調べても、開成石経でさえ点を書いていない。
では、この点はどこから出てきたかというと、やっぱり『説文解字』だ。説文では「者」を「从白」としているので、点があることになってしまった。
台湾教育部異体字字典で見ると、『集韻考正』あたりから点が付き始めたらしい。

つまり「旧字体」より「新字体」のほうが古いという話になる。
その話は後述するとして、日本の漢字行政の方から進めると……、

1978年、世界初の漢字を扱う文字コード『JIC C 6226』が開発された。このとき最終的な漢字選定作業を行ったH委員の立てた方針では「異体字同士が1画しか違わない場合は同じと見なす」ことになっていた。これは当時の文部省とも意見の一致を見ていた筈である。
というわけで、『当用漢字表』の「者」と『当用漢字字体表』の「者」とは区別の必要がないことになった。
ところが、1981年『常用漢字表』が出てみると、「者」の横には括弧書きで「者丶」(以下しばらくこの書き方をします)が掲げられ、「いわゆる康熙字典体」という言葉で説明された。内閣告示の漢字表に堂々と印刷されているのだから、これは重大なことなのだが、その重大さに誰も気づかず、1983年、1990年、1997年と三回行われたJIS漢字の改訂でも「者丶」が新規に追加されることはなかった。
何が重大といって、『常用漢字表』の告示を受けて、子供の名付けに使える文字を定めた「人名用漢字別表」が改正され、同時に「人名用漢字許容字体表」が制定されということだ。これによって「者丶」を子供の名として届けることができるようになった。まあ、「者」が付く名前なんてそう多くはないだろうが、「者」を含んだ漢字はたくさんある。それがみんな点付きと点なしの区別を必要とするようになってしまった。たとえば「渚」はもともと人名用漢字に「渚丶」で入っていたのが81年に点なしに改正され、次いで点付きが許容字体となった。
不思議なことに「曙」は点なしで追加されたまま、点付きは採用されていない。ファンタのCMでドラムを叩いていた元横綱の曙は、横綱昇進に合わせて点付きの曙になったのだが、人名用漢字の世界ではついに横綱になれなかったということになる。
話が横道にそれたか。

2000年、JIS X 0213で、とうとう「者丶」が追加された。第3水準、1-90-36として。しかし時既に遅し……。
〈1993年5月1日 「ISO/IEC 10646-1: 1993 Universal Multiple-Octet Coded Character Set (UCS) -- Part 1: Architecture and basic Multilingual Plane」が制定される。同年翌6月にUnicode 1.0は ISO/IEC 10646-1:1993にあわせた変更を行いUnicode 1.1となり、以後ユニコードISO/IEC 10646とは歩調を合わせて改訂されていくことになる。〉Wikipediaより。
Unicodeでは、既存の漢字コード規格の擦り合わせによって収録CJK文字を決定したが、「者」については韓国のみが「者丶」字形であり、「者」と「者丶」を別に収録した規格が存在しなかったので、両者を統合した。「者」を含む多くの漢字が同様の扱いとなった。
(韓国の文字コード規格……ハングルしか使わない筈なのにということは別にしても、なぜ康熙字典体なのかというと、日本から技術者を送り込んで作った「印刷局」の字体がそのまま残っていたんじゃないかと推測してしまう。国際協力というか植民地化への下準備というかはともかく、印刷局の技術者はいい仕事をしたと、それだけは言っておきたい)
唯一の例外が「緒」で、なぜか台湾で「緒丶」を別に符号化していたため統合できなかった。「緒」(U+7DD2)「」(U+7DD6)。なぜこの字だけなのか、光緒帝の呪いか……。
日本の規格に盛り込んだとはいえ、国際的に認められなければないも同じ。JIS委員会はなんとか「者丶」その他の「人名許容・康熙別掲字」をUnicodeに捩じ込もうと考えた。目を付けたのはCJK Compatibility Ideoglaphs(互換漢字)で、ここにはすでに「猪丶」「諸丶」「都丶」が入っていた。それが韓国語の読みの違いによるものか、カナダのIBMが押し込んだものかは知らないが……。というわけで「者丶」もU+FA5Bという名前をもらうことができた。
ところがところが、その後のUnicodeの方針変更で、この互換漢字ブロックは事実上使い物にならなくなってしまった。
そこで次に考え出されたのがIVSというシステム。
まだごく一部でしか使えないが、今後使えるようになりそうなこの方式で、「者丶」は、「U+8005 E0101」という符号になっている。

ちなみに常用漢字表にある「者」を含んだ漢字は、(E01xxが二つあるものは許容字体がある)

者 U+8005 E0100 E0101
煮 U+716E E0100 E0101
暑 U+6691 E0100 E0101
署 U+7F72 E0100 E0101
緒 U+7DD2  U+7DD6
諸 U+8AF8 E0100 E0101
著 U+8457 E0100 E0101
都 U+90FD E0100 E0101
箸 U+7BB8 E0101
賭 U+8CED E0101

人名用漢字では、

儲 U+5132 E0101
曙 U+66D9 E0100
渚 U+6E1A E0100 E0101
猪 U+732A E0100 E0101

その他のよく目にする漢字としては、(日本では点付き、Unicodeは点なし)
偖 U+5056
堵 U+5835
奢 U+5962
屠 U+5C60
楮 U+696E
躇 U+8E87
闍 U+95CD

などがある。

最後の話題、なんでまたこの小さな点ひとつに振り回されなければいけないのか、古代文字にまで目を向けてしまったおかげで訳が分からなくなった話。
漢和辞典で「者」の字源を調べてもどうにも納得がいかない。台の上で火を燃やしている(「煮」)だの、祝詞を入れた器を土に埋めている(「堵」)だのと諸説あるが、説文の「白」の上に「旅」の古文、という成り立ちはとっくに捨てられていることは確かなようで、「白」でない以上は点はいらないではないか!ということになる。『常用字解』だけは「この点は土をかぶせて……埋めるという意味を持っている」としつこい。
そして、いずれも字形は金文までで、甲骨文字は載っていない。
これだけ多くの字の要素になっているのに甲骨文字にはまるで使われていないというのも不思議なことだ。
『甲骨文編』の検字にも「者」は一切ない。
そこでまずは、ネット上で便利に使っている『漢典』(http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE8Zdic80Zdic85.htm)を見る。

この字形は落合淳思氏の『甲骨文字小字典』にも載っている。ところが、
「京都大學人文科學研究所藏甲骨文字索引」(http://mousai.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/koukotsu/SAKUIN/QXGA/0011.html)では、


「春」なのだ。

今週末は立春。春が来たところで今回はおしまい。


【追記】甲骨文字については、高島敏夫(@TTissue)さんにご教示をいただいた。

徳さんはどっち

 

箱根駅伝を自宅近くで観戦しながら一人実況中継をする徳光和夫さんが、正月明け日曜の楽しみだったのだが、今年はそのコーナーもなくなったようだ。
で、「徳」の字。
当用漢字表の官報で使われた活字では「」(U+5FB7)だったが、当用漢字字体表で「徳」(U+5FB3)となった。
そのため、「徳」が新字体、「」が旧字体ということになっている。一画だけの違いなので、JISではこれを包摂してきた。「」が使いたい場合は「旧字」と注記しなければならなかったわけだ。
ただ、IBMは「」を符号化していたので、そのままWindows外字へと受け継がれ、機種依存文字ながら使うことは可能だった。
Unicodeでは実は中国、台湾、韓国いずれも標準は「」であり、「徳」が標準なのは日本だけということで、危うく統合を免れたというところだ。
そして2000年のJIS X 0213で、「」は第3水準に入った。人名用漢字の許容字体であるから包摂規準の例外とするという判断で。
しかし、「戸籍がそうなっているから、高を梯子高にしてくれ」とはよくいわれるが、「徳」を「」にしてくれとはあまりいわれない。
徳光さんの名字は「光」なのか、そうではないのか。

で、弘道軒清朝を見てみよう。ご覧の通り両方あり、「」の清刷にはなぜかバッテンがついている。バッテンのついたものは大抵印字が不良で活字を取り替えて再度印字しているのだが、「」はそうではない。謎である。
新字体の「徳」を作ったので旧字体の「」を使わなくなった、だからバッテン……ではない。
明治の弘道軒清朝は「徳」なのだ。


左は『小説神髄』の「道徳」。楷書なのに二点しんにょうの「道」もご愛嬌だが、「徳」が旧字体でないことを確認してほしい。

さらに「官員名鑑」から宮内卿・徳大寺實則の名前を、清朝と明朝の両方の版で掲げると……。
 

清朝は「徳」、明朝は「」になっている。宮内卿の名前を間違えた筈もない。明朝体康熙字典体だから「」、楷書体の清朝は「徳」。同じ字だからそれでいい。
ただ、この明治の清朝の「徳」は、岩田の清刷の「徳」と同一ではない。十画目の左への突き出しではっきりわかる。
ということは、まず「徳」があって、康熙字典体の「」が追加され、さらに当用漢字字体表に合わせた「徳」が出来た。そういう流れが推測できる。

HNGで、「徳」の字を検索すると、
http://www.joao-roiz.jp/HNG/search/word=%25E5%25BE%25B3&ratio=1.0

開成石経以来、「」が書かれるようになったものの、「徳」も同じくらい書かれている。
「徳」の方が古い、伝統的な字体ということになる。
また『宋元以来俗字譜』では12の書物中8つで「徳」が採取されている。俗字といいつつ、こちらが普通ということを示しているのかも。

Unicodeで「」の異体字を拾ってみると、
「㥀」(U+3940)「㥁」(U+3941)「徝」(U+5F9D)「恴」(U+6074)「悳」(U+60B3)「惪」(U+60EA)「憄」(U+6184)「𢛳」(U+226F3)「𢜖」(U+22716)「𢠀」(U+22800)「𢤊」(U+2290A)「𨗌」(U+285CC)「𨗤」(U+285E4)
随分あるが、台湾教育部異体字字典などを参考に、ざっと拾っただけなので、ほかにもあるかもしれない。

また漢典で「」の字体変遷を見ると、
http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE5ZdicBEZdicB7.htm

金文の字体は「徳」、つまりこれも説文が「悪さ」をしているのではないかという疑いが出てくるわけで……。まさか「𡚴」を「妛」にしてしまったようにミスで線を増やしてしまったわけではないだろうが、「直」の音が欲しかったのでつい……、などと妄想を膨らませてしまう。

落合淳思『甲骨文字小字典』で「徳」を探すと、「彳+直」だと説明している。「徝」が初文だと。しかし甲骨の図は「乚」(または「一」、中国の「直」は横1本)がない。
説文以来の解釈では、「悳」に彳がついたものだとするのだが、どうも「心」のない「徳」の方が古いということになる。
『字通』ではこの「十+目(横目)」は「省」だと書いている。
これをヒントに、CHISE IDS 漢字検索で探してみると、
http://www.chise.org/chisewiki/view.cgi?char=&MCS-000F30F7;
という甲骨文字を見つけることができた。

ちなみにフリーフォントの草書体で「徳」は右のようになる。

「心」はない。草書では心のあるものないもの共に存在するが、隷書では殆ど心がついている。
心のない草書は小篆以前の字体から直接発生したのかも知れない。

文字は異なもの

新装第一弾は異体字の「異」。お決まりの弘道軒清朝四号は、常用漢字と変わらない。
しかし明治の弘道軒清朝は違う。東京日日新聞小説神髄、どちらも五号だが、「共」が分割され「田」が「甲」になった形だ。

江守賢治『解説字体辞典』によれば、康熙字典体が伝統的な楷書の字体を改変してしまった例である(康熙字典は共をつなげていないが、明朝体でつながってしまった)。

HNGで、「異」を見ると、

http://www.joao-roiz.jp/HNG/search/word=%25E7%2595%25B0&ratio=0.020

この字は「初唐標準」と「開成標準」で字体の変わる文字の一つである。即ち説文の小篆が「甲」を「田」にしてしまったために、楷書がそれに倣って正字が変わったということだ。

漢典の字源字形

http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE7Zdic95ZdicB0.htm

で、甲骨・金文の字形を見ることができる。また台湾教育部異体字字典には、

http://140.111.1.40/yitia/fra/fra02649.htm

五経文字にその伝統的楷書の字体も載っているのを確認できる。

伝統的な楷書(初唐標準)のほうが説文の篆書より古い字形をよく伝えているということになる。まあ、「結果的に書きやすい形になったのだからいいじゃないか」とも言えるわけだが……。

Unicodeにある異体字としては、もちろん簡体字の「异」(U+5F02)があるし、康熙字典が古文として載せる「𢄖」(U+22116)もあり、金文を明朝体にしたような「𠔱」(U+20531)とか、康熙字典どおりの康熙字典体「異」(U+2F938)も揃う。「田」が「甲」になる形は戸籍統一文字にあるが、Unicodeにはないようだ(あってほしいというわけではない。念の為)。

さて「異」の字源だが、漢和辞典を見るとバラバラである。
『漢字源』では、「笊などを両手で持った形。会意」。
『新字源』では、「人が鬼の面をかぶって立っている姿。象形」。
『字通』では、「鬼頭のものが両手をあげている形。象形」。
ちなみに説文では会意字としている。落合淳志『甲骨文字小字典』では「面をかぶった人の姿。象形」と、『新字源』に近い。
『漢字源』の藤堂説はかなりユニークで、「もう一方の手でも持つところから異なるの意味が生まれる」という発想。「翼」も両翼あるので云々と。しかし、甲骨・金文の形を見ても全身像であり、物を持つことに主眼があれば下半身まで描くことはありえない。次に「田」の部分が示すものだが、これを「面」だと断定する根拠がよくわからない。もちろん日本にも鬼ヤライの儀式が伝来し、行われていたことから、そのような儀式の存在は考えられるわけだが。『字通』は素直にエイリアンの正面像と言っているようで、異形のものの姿の象形と見ることには違和感はない。ただ、白川説も、『字統』では上記の後に「ものを翼戴する形」という記述がある。「翼戴」とは主君を支える意味、また子供を高い高いする姿であろうが、両方の字に「異」が入っている熟語であるからその意味を考える上で重要と見たのだろう。ただ、若干『漢字源』説に近づくような書き方に思え、後に削ったのは分かる気がする。

「田(甲)」は「畏」のそれと同じ、また「鬼」のそれとも同じだろう。「鬼」の一画目の「ノ」は説文以来の誤りで本来は不要なものだ(『新字源』は逆に「異」の方が「ノ」を欠いたとするが、実在する文字の歴史的にありえない)。

麋角解



「角」(89D2)のGB字形は中央の縦画が突き抜ける形。AdobeJapan1のCID=13682である。岩田母型製造所に残された弘道軒清朝四号の活字は「抜けない」形になっているが、坪内逍遥小説神髄』を見ると、元々の清朝では「抜ける」形になっていたことがわかる。

Unicodeでは抜ける角と抜けない角は統合されていて、区別しない。逆に言うと区別する方がおかしいわけで、HNGを見ても、古来この字は抜ける形で書かれてきている。抜けない形を規範とするのは説文に拘った「正字」(康熙字典体)くらいなものだろう。


某TV局のアナウンサーが「抜ける角」に拘るらしく、テロップがいつもそうなっている。
田中角榮元首相の「角」も(戸籍がごく普通に手書きされたものだからだろう)「抜ける角」で、わざわざそう表記した例を見たことがある。

この回で今年の更新は終了。七十二候から一字ずつ取り上げるのも、これで一区切りにして、来年は別のことを考える。

乃東生


ひらがなの「の」の字母「乃」、ごく単純な字の筈だが、結構厄介だ。字源としては弓の弦が伸びて緩んだ象形だという。
説文解字の「乃」は一画で、「𠄎」(U+2010E)のような形、あるいは「弓」に近い形の「𢎗」(U+22397)、または「𢎧」(U+223A7)となる。
さらにその異体字には「𠄕」(U+20115)「𠚝」(U+2069D)「𠧤」(U+209E4)「𢏩」(U+223E9)など様々。
「廼」も「乃」の異体字だといわれる。
現代では「的」の異体字として「の」が使われたりするらしいから、面白い。

鱖魚群



このところ、互換漢字増補や統合漢字拡張Bなど、面倒な異体字ばかり挙げてきたが、今回は「羣」。JIS第2水準だから化ける心配はない。
康熙字典では「羣」が正字、「群」は俗字とはっきりしているのだが、常用漢字表の括弧内の漢字(いわゆる康熙字典体)には「羣」は選ばれていない。
昭和6年の臨時国語調査会「常用漢字表」では「羣」が選ばれていたが、昭和17年の国語審議会「標準漢字表」では「群」になり、以後すべて「群」である。
そのため漢和辞典でも、「羣」は旧字ではなく本字ということになっている。

熊蟄穴



康熙字典では「火部」にあり、「熊」の古文として「𪏛」(U+2A3DB)を掲げ、次項に「熋」(U+718B)を俗字として載せている。
Unicode Ext.Aには、「熊」の書写体を俗字として扱う「㷱」(U+3DF1)が収録されている(「去」にするのは大いに問題があるが)。

新字源では形聲、字通では會意としている。説文では「火部」になく「能」に从うとしているので、新字源は通らないかも。
漢典(http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE7Zdic86Zdic8A.htm)に甲骨文が載っているが、その通りなら全体で象形と見ることもできる。